「~するべき」「すべきではない」「~ねばならない」という完璧主義、「0か100か」という思考をやめるには、自分がどういう囚われをもっているかに気づくことです。
自分がどういう完璧主義に陥っているのか?
それはどういう経験から学んでしまった捉え方なのか?
先ずそうした自己分析を行い、それから柔軟で多面的な捉え方を身につけられます。
そのプロセスを事例も交えて解説していきます。
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「ねばならない」の呪縛
私たちは自分が思っている以上に、多くの「~ねばならない」で自分を縛っています。
カウンセリングをしていても、本当に多くの人が、見えない「~ねばならない」に囚われていることがわかります。
例えば・・・・
「いつも笑顔で機嫌の良い人でなければならない」
「全ての人から好かれる人間でなければならない」
「仕事や人生では失敗や挫折はあってはならない」
「人はいつも自己実現を目指さなければならない」
こんな風な「~ねばならない」を持っているかもしれません。
自分に課していれば、そうできないときは落ち込み、自分を責めます。
他人に課していれば、そうできないときは腹が立ち、他人を責めます。
また、こんな「~ねばならない」があったとします。
「幸せになるためには~でなければならない」
この「~」の部分には、人によっていろいろな言葉が入りそうです。
「結婚していなければ」かもしれませんし、「多くの友人がいなければ」「仕事が順調でなければ」かもしれません。
「多くの収入がなければ」や「高学歴でなければ」かもしれません。
はたまた
「人に迷惑をかけてはならない(かけるべきではない)」
「自分は完璧な人間でなければならない」
「自分のやることは、自分が思った通りにできなければならない」
さて、あなたの心の中には、どのような「~ねばならない」があるでしょう?
厄介なのは、この「~ねばならない」は、無意識にもっていることが多いこと。
自分でも気がつかない「~ねばならない」があるかもしれないのです。
「ねばならない」から卒業できたPさん【カウンセリング事例】
ITの会社に勤めるPさん(30代男性)は、仕事や職場の人間関係で悩んでいました。
なかなか仕事が上手くできず、それでひどく落ち込んでしまう。
一旦落ち込んでしまうと、数日それを引きずってしまうというのです。
職場の同僚や上司に対しても、コミュニケーションが上手くいかない。
報告・連絡・相談といった基本的なやり取りも、思うようにできないとのことでした。
Pさんと一緒に考えていくうちに、あることが浮き彫りになってきました。
どうやらPさんの中には、いくつかの縛り、思い込みがあるようなのです。
つまり何種類かの「~ねばならない」があったのです。
例えばこんな「~ねばならない」がありました。
「仕事は完璧にできなければ、社会人として失格だ」
こう無意識に思い込んでいたことで、ちょっとの失敗でも極端に落ち込みました。
失敗が怖くて、仕事が消極的になり、全てが後手後手に回りました。
例えば頼まれたコピーの部数を間違えたとします。
それを「ああ、やっちゃった(笑)」で済んでしまう人もいます。
そういう人は、今度から気をつけようと思い、「すいませんでした」と謝り、次の仕事に気持ちを切り替えて集中します。
しかし「仕事は完璧にできなければ、社会人として失格だ」という思い込みがあったらどうでしょう?
コピーのミスであっても「ああ、自分はなんてことをしてしまったんだ!」と衝撃を受けます。
「こんな初歩的な仕事をミスして、雑にやって、社会人としてあり得ない」と考えます。
そして「この間も似たようなミスを・・いったい何年この仕事をやってるんだ」
「こんなミスをするのは、もう人間として無能なんだ、ダメな人間なんだ」
「そういえば昔からこんな失敗の繰り返しじゃないか」
「自分の人生、こんなみじめな思いばかりして、もうお先真っ暗だ・・・」
一瞬にしてこんな思考が働いいていきます(無意識に)。
あるいは、何日経ってもこうした思考の堂々巡りが起こります(無意識に)。
その結果、気持ちを切り替えられず、集中力を欠いたままとなり、また同じようなミスを犯してしまい、さらにネガティブスパイラルに・・・
こうしたことを無意識に何度も何度も日常的に繰り返していては、身が持ちませんし、気力もなくなり、精神も段々病んでいくかもしれません。
Pさんはこんな思考をコントロールできず、無意識にずっと繰り返していたのです。
そして、この思考のスイッチがすぐに入ってしまうのは「仕事は完璧にできなければ、社会人として失格だ」という思い込みを持っているからです。
Pさんは、自分のこの「~ねばならない」という思い込みが少なくとも仕事に関しては、全ての歯車を狂わしていたことに気づきました。
そう気づいた途端、その思い込みやそういう自分をフッと俯瞰して観察(洞察)しました。
「本当にそうなのだろうか?」
つまり、本当に仕事を完璧にできなければ社会人として失格なのだろうか?
そういう問いがPさんの中から自然と出てきたのです。
「いや、ベテランや有能な人だってよく見るとミスはある」
「どんな達人だって、ミスはしている」
「完璧に仕事をやっている人なんていない」
「一時的に完璧な仕事ができる時はあっても、いつもなんて無理だ」
そしてPさんは、あることに思いが及びます。
「・・・そもそもなんで自分はそんなことに、これほどこだわっていたんだろう・・・」
記憶を辿って出てきた答え。
それは小学校の頃にちょっとしたいじめを経験したこと。
お父さんが厳しい人で、自分が失敗をするとかなり怒られたこと。
その結果Pさんは「完璧な人間でなければバカにされる」という一つの思い込みを抱くようになりました。
そうして「仕事は完璧にできなければ、社会人として失格だ」という思い込みを無意識に、強く、そしていつも抱くようになったのです。
ここまで来ると、Pさんは自分のミスに対して、以前よりも「寛容」になります。
「どんなに一生懸命やってもミスすることはある」
「ミスを悔やむだけでなく、しっかりと振り返ることが大切だ」
「ミスの責任をしっかり取れば、後はまた仕事に集中するだけ」
こんな新たな捉え方がPさんの中に醸成されていきました。
精神的な委縮もなくなり、仕事のミスも減り、職場の人たちとも積極的にコミュニケーションできるようになりました。
この大きな変化・成長のカギは、自分の「~ねばならない」に気づいたことでした。
私たちは大なり小なり「ねばならないの呪縛」に囚われています。
それは、何らかの経験によって学習してしまったことです。
無意識とはいえ、自分が学習してしまったことなのですから、もう一度自分で学習し直すことができるのです。
自分の捉え方が変わると、世界観がガラッと変わることもあります。
Pさんの顔つき、言動は、以前とは別人のようになったのでした。
完璧主義(0か100か)を卒業できたYさん【カウンセリング事例】
「ものすごく静かな気持ちで淡々と過ごせています」
Yさん(30代女性)は、穏やかな笑みを浮かべながらそう言いました。
Yさんはとある企業の事務職で、始めは忙しい部署で働いていました。
しかし、あまりの激務に体調を崩し、心療内科に行くほどでした。
それまでYさんはがむしゃらに働いていましたが、これを機にもっと楽な部署に異動させてもらいました。
激務から解放されたYさんは、徐々に体調も良くなりました。
ところがしばらくするとまた不調が出てきました。
激務でもない部署で、なぜまた不調になったのか?
Yさんは原因がわからなかったのです。
そんな時、ネット検索によって鈴木のブログ記事を読み、カウンセリングを申し込んだそうです。
カウンセリングに通う中で、Yさんは自分に「~するべき」「~ねばならない」という捉え方があることに気づきます。
仕事は完璧にこなさなければならない。
メールの返信はその日のうちに返すべき。
こんなふうな「すべき」「ねばならない」を自分にも他人にも強いていました。
しかも、そういう捉え方をしていることには、Yさんはそれまで全く気づいていなかったのです。
自分がすぐにイライラしたり、苦しくなってしまうのも、ここに原因がある。
Yさんはそのことに気づくと、あることを思い出しました。
それは、幼いころからYさんは、お母さんから「~すべき」「~でなければならない」とよく言われてきたそうです。
良い成績を取らねばならない。
大手の会社に入らなければならない。
女性らしい服装やメイクをすべきだ。
幼いころからYさんは母親にずっと様々な「べき」を心に刻まれてきました。
Yさんは母親の言う通り、高学歴で大手に就職しました。
メイクにも「女性らしさ」のこだわりをもっていました、
しかし、いつしか反動でノーメイクに近い状態で過ごすようになったそうです。
Yさんは、物事を「べき」で捉えるようになりました。
Yさんのように物事を「べき」で捉える人は、人や物事に対していつも「0か100」で捉えます。
あるべき姿に少しでも届かないことは、全て0点とみなすのです。
かといって100点に値することなど少なく、仮にあってもその100点は素晴らしいことではなく「当たり前」と受け止めます。
これも母親から課された「100点は当たり前」という評価にさらされてきたためです。
時々いるのですが、学校のテストで98点を取ったのに、親から「なんであと2点取れないのだ?」と怒られたという話を聞きます。
親によっては「え?98点!すごいね」という人もいます。
本人が100点をどうしても取りたくて悔しそうにしているなら「98点でもちょっと悔しいのね」と言ってあげるのはありでしょう。
しかし、本人はもう少し褒めてもらえると思った「98点」を「なぜあと2点足りない」と失望に満ちた顔で言われると、その子の中で「98点」は意味のないダメな点数となります。
概してこういう評価にさらされてきた人は、物事の捉え方や思考に「0か100」が持ち込まれます。
98もなければ、まして60とか40も無い。
いずれもその人の中では「0点」となってしまいます。
このような捉え方や思考をしていたら、生きるのが辛くて仕方なくなります。
しかし、親からいつもそう評価されてきた人は、こうした息苦しい世界の中でもがきながら生きています。
そもそも仕事でもなんでも100点など取れることはほとんどありません。
ですから自分がやることも他人のすることも常に「0点」「ダメな出来」としか捉えられなくなります。
自分も他人も世の中の出来事も常に「0点」ですから、息苦しくなるに決まっています。
こうしてみると、親は子どもに「評価的態度」を取り過ぎると、子どもを息苦しい世界でもがく人生に追いやってしまうこともあるといえます。
母親からこうした評価にさらされてきたYさんも、息苦しい世界で必死にもがいてきました。
しかし、もう限界点まできてしまったので、カウンセリングで立て直そうと思ったのです。
カウンセリングで「0か100」「べき」以外の捉え方を知り、Yさんは徐々に気持が楽になっていきました。
Yさんの中で、今まで許されなかったこと、許せなかったことに対して、寛容になっていったのです。
Yさんの体調不良は激務が原因なだけでなく、それまで抑圧されていた感情が表に出たせいもあります。
母親に対する怒り、自分の本当の気持ちなど・・・・
そうしたものを一つひとつ認め、折り合い、受け容れていくようになりました。
カウンセリングの最後の面談で、Yさんの顔つきはとても柔らかく、語り口調も穏やかでした。
肩の力がスーッと抜けた感じで、笑みさえ浮かべてこれまでを振り返りました。
仕事も人間関係も平穏で、人の話もよく聞けるようになったそうです。
事務作業の効率もあがり、集中力もついてきたようです。
「ものすごく静かな気持ちで淡々と過ごせています」
玄関でYさんはもう一度静かに振り返り、私に深々と頭をさげて、カウンセリングルームを後にしました。
そんなYさんの背中を私も静かな笑顔で送ることが出来ました。
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