『共感的理解』とは




『共感的理解とは、相手の言いたがっていること、わかってほしがっていること、訴えたがっていることを、言いたがっているまま、わかって欲しがっているまま、訴えたがっているままに理解することである』

これは私の師である吉田哲先生の教えです。

共感的理解という言葉は知っていても、その本質を理解し、実践できている人はいるのでしょうか?



その点を以下に解説させて頂きます。

<目次>
共感的理解と基本的態度
なぜ共感的理解が必要なのか? 
傾聴の学習も誤解されている
共感的理解の本当の意味
共感的理解は教育現場でこれだけ必要
共感的理解は看護の世界でも必須
共感的理解は介護でも重要
共感的理解の想像を超える効果
共感的理解の効果的、実践的方法
共感的理解の例文 
共感的理解は「ゾーン」「フロー」の状態から生まれる 



共感的理解と基本的態度 

カウンセリングをしていると、過去に精神科や心療内科、
さらにはいくつかのカウンセリングルームに行ったり
通ったりしたという方がいらっしゃいます。

いろいろないきさつや事情もあったのでしょうけれど、
そんな方のお話しをお聴きして思うのは、
その方が最終的には医師やカウンセラーから
共感的理解が得られなかったのではないかということです。


先の師の言葉によれば、共感的理解とは、
相手の言いたがっていることをいいたがっているままに聞く、
そして理解し、その理解したことを相手に伝えること、
伝わることだということになります。


ところが、彼らの話によると、最終的には
医師やカウンセラーからもらった言葉は、

「そんな考えではダメですよ。
もっとこうしなければ」という説明であったり、
「それでは困りますよ。もっとこうしてもらわなければ」

という説得であったり。

また、

「だから行き詰るのですよ。もっとこうしてみたらいかがですか」

という指示・助言であったり、

「結局それはあなたが考えすぎたり甘いからですよ。
気の持ちようなんだからもっと頑張ってください」

という励まし・激励であったりしているようです。


これは何かというと、対人援助やカウンセリングの最も基本とされる
共感的理解ではなく、説明・説得・助言・指示激励ということになり、
援助を求める人間には、それは一言でいうと
「自分を否定されるメッセージ」として伝わってしまう対応です。


そしてこうした対応というのは元々臨床の現場では
最も戒められるべき対応であるはずです。


ところが、臨床の現場で医師やカウンセラーは、
この最も戒めねばならない説明や説得、助言・指示、激励という対応を、
ある意味、最も重要な場面において行ってしまっているようです。


そしてもしかしたらそういう現実が、臨床の現場では
かなりの数で存在しているのではないかという気がしてくるのです。


もしそうであるとしたら、多くの患者やクライエントが納得が出来ず、
病院やカウンセリングルームを移すのも已むを得ないと思えますし、
非常に残念な現実でもあると思わずにはいられません。


『共感的理解とは、相手の言いたがっていること、
わかってほしがっていること、訴えたがっていることを、
言いたがっているまま、わかって欲しがっているまま、
訴えたがっているままに理解することである』


私はカウンセラーとして、この師の教えを現場でとにかく忠実に、しかも丁寧に行うことを心がけています。


なぜならば、こうした共感的理解を最も重視した姿勢でなければ、対人援助そのものが成り立たないと思うからです。

それでは今度は、なぜカウンセリングやコミュニケーションでは共感的理解が必要なのかについて書いてみます。




なぜ共感的理解が必要なのか? 

共感的理解はカウンセリングを勉強すれば、必ず学ぶ概念です。

しかし、この共感的理解がなぜ必要なのか?

共感的理解によって、何が可能となるのか?

そのことを、しっかりと説明できる人は少ないようです。

共感されることで癒される?

それでは、わかったような、わからないような説明です。

また、「共感」と「同感」と「同情」の明確な区別も、しっかりと出来ていない人もいます。

この区別は、オープンセミナーやワークショップで説明していますので、共感的理解がなぜ必要で、何が可能となるのかについてお伝えします。

共感的理解とは、そもそも何でしょう?

この概念を打ち立てたのは、他でもないカール・R・ロジャーズです。

ロジャーズは、この共感的理解が人間援助の根本だと説きました。

しかし、そう説いたロジャーズも、最初は助言のオンパレードの面接だったそうです。

そうした面接に何度も限界を感じ、行きついたところが共感。

その共感的理解とは、一体何をすることなのでしょう?

私は、クライエントの経験、感情、思いなどを、カウンセラーと共にわかち合うことだと思っています。

クライエントが経験したこと、悔しさ、悲しみ、怒り、絶望感。

そうしたもの、その一つ一つを丁寧にわかち合っていくことです。

そしてできることなら、それらをしっかりと、そして深くわかち合うこと。

そうすることで、クライエントは自分自身としっかり向き合うことができます。

自分の経験したこと、感情、思いを、カウンセラーと共にわかち合う。

具体的にはカウンセラーの聞き方、態度、応答によって、クライエントは自分の伝えたことを味わい直します。

そうすることで、クライエントは自分の経験した諸々を、改めて落ち着いて見直すことが出来るのです。

カウンセラーの聞く姿勢、態度、応答にふれることで、クライエントは自らの姿を正確に、ある意味客観的に見直します。

そういった意味では、カウンセラーはクライエントの映し鏡となるわけです。

クライエントはその映し鏡に映し出される自分を見て、自分自身や自分の経験の世界を正確に(客観的に)振り返ります。

自分はこんなに傷ついていたのか。

自分には、こんな思いが秘められていたのか。

これが自分の本当の気持ちだったのか。

そうして見えてくることが、クライエントにとって「気づき」となり、「学び」となっていくわけです。

つまり、共感的理解とは、「気づき」と「学び」を促すものなのです。

さらに、同じ経験、同じ感情、同じ思いをカウンセラーとわかち合うことで、クライエントは自分の感覚の「確かさ」や「危うさ」にも気づきます。

この感覚は確かだと確認できることで、こんな思いを抱く自分はおかしくないと思えます。

この感覚は危ういと確認できることで、よりしかりとした捉え方を模索します。

共感的理解には、そうした意味と目的があるわけです。

人の心は、助言や質問攻めや分析・解釈では動きません。

ロジャーズは、そうした知的な働きかけは生きないと説いていました。

人の痛みを分かち合う、人の喜びを分かち合う。

それはある意味、人の気持ちを我がことのように感じることです。

カウンセリングという手段を通して、私たちは、人の心に寄り添うとはどういうことか、改めて考えていきたいものです。

傾聴や共感的理解はこうした意味で大切ですが、そのの学習方法に対する理解は誤解があり、多くの学習者が混乱しています。

では、その誤解とはどういったものかを次に考えていきます。




傾聴の学習も誤解されている



傾聴の勉強をしているのに、なぜ傾聴ができないのか?

それは、一番大切なことを見落としているからです。

傾聴やカウンセリングは、知識を入れるだけではどうにもなりません。

重要なのは、何を知っているかではなく、何ができるか。

つまり、自分が何をしてしまっているのかという「具体的事実」から出発しないと始まりません。

傾聴学習に行き詰った人たちが、次のようなことで困っています。

・実際の面接の途中で返す言葉がなくなり、沈黙になった
・「オウム返し」の連続でクライエントに嫌がられた
・学んだ通りにやっても”機械的”で”不自然”な対応になる

傾聴が必要な場面で求められるのは、相手の投げかけに何ができるかです。

相手の話をどう聞き、どう理解し、その上でどんな言葉を投げ返せばいいのか?

学習者が知りたいことは、このことのはず。

そして、その瞬間に適切な反応ができるだけの「反射神経」を磨くこと。

これが傾聴学習で最も大切なことのはずです。

臨床カウンセラー養成塾では、そうした学習によって、着実に塾生の反射神経が磨かれています。

では、どうやってその「反射神経」を磨けばいいのか?

「反射神経」を磨くためには、まず、傾聴に対しての誤解を解く必要があります。

・相手の言葉を繰り返せばいい(拾えばいい)?
・相手の話を要約すればいい?
・相槌を打って、相手の話を否定しなければいい?
・ただ黙って聞くこと?

まことしやかに教えられているこうした「間違った教え」ですね。

それに気づくことです。

そして、共感的理解とは何か?

その本当の意味を知ることが、とても重要になってきます。


共感的理解の本当の意味 

共感的理解というと、その言葉の意味は説明されますが、説明自体極めて漠然とした、ピンとこないものです。

よくある説明として「クライエントの世界を、あたかも自分の世界のように感じる」というものがあります。

あなたはこの説明で「腑に落ちた」「ピンとくる」といった感じになるでしょうか?

共感的理解とは、カウンセラーの応答によって確認できるものなんです。

クライエントの話をカウンセラーが聞き、カウンセラーがどう理解したかをカウンセラーの言葉にして返す。

その言葉(応答)を聞いたクライエントが、まさに自分が言いたかったことそのものだという反応が内側から起きているのを確認できたとき。

その時、初めて共感的理解が(そのやり取りにおいては)成立したといえるわけです。

しかし、多くのカウンセリングの指導では、こうしたことが伝えられていません。

ですから、共感的理解の意味は何かという話でいえば、その意味を辞書的に説明できたところで、実践には何も役に立ちません。

それは野球のバッティングとはと、辞書的な意味を説明できたところで、それだけでは実際にバッティングができないのと同じです。

「共感的理解の意味は?」と、心理の資格試験のペーパーテストで回答できれば良い・・・というのであれば、それでも構いません。

しかし、実際に共感的理解を自ら実践できる必要があるのであれば、どうすれば良いのかや、どうすれば出来たといえるのかについて、自分なりの回答と実践が必要になるはずです。

次に共感的理解が現場ではどれほど重要かについて考察してみましょう。

 


共感的理解は教育現場でこれだけ必要

私はスクールカウンセラーとして、公立小学校(3校)に5年ほど在任しておりました。

5年間の在任経験を通して、いじめ、不登校、学級崩壊をはじめとした様々な問題が山積している現場だと実感しました。

教職員の方々が困っていたこと。

それは、生徒や保護者とのコミュニケーションでした。

特に困っていたことは、「いざ」という時の対応や、問題行動を起こす児童やその保護者との信頼関係構築です。

それらの対応の仕方や、対処の方法などを、具体的、実践的に学ぶ機会が皆無であることが原因です。

教科指導、発達障害への理解など、知識や情報はあっても、実際に生身の人間(生徒・保護者やその関係者)に対する関わり方が思うようにいかないのです。

そのため、関わり方に失敗をして信頼を失ったり、問題が拡大する場面を数多く目にしてきました。

学校の教育現場では、以前から児童・生徒との関りにおいて共感的理解の重要性は指摘されておりました。

そのための研修も数多く実施されてきました。

しかし、ここでも「知っていること」と「実際に出来るようになること」との間には、大きな溝があり、これをどう埋めるかについては、現在も混迷を極めているのが現状です。

共感的理解は、相手との信頼関係を築くには大変有効な関りです。

人は自分を本当の意味で深く理解してくれる相手に対し、心を開き、信頼を寄せます。

それは私がスクールカウンセラーとして子どもたちや保護者と関わってきて確信できたことでもあります。

ここで気をつけたいことは「わかったつもりの反応を見せる」のと、「本当にわかったということが伝わる」ということとの違いです。

当然、前者はかえって信頼を失いますが、後者は真の信頼を獲得します。

相手を真に理解するには、その相手に強くまっすぐな関心を寄せ続けることが大切です。

問題行動を起こす児童・生徒に対しても同様です。

問題行動を起こす児童・生徒は、大人に繰り返し裏切られてきたり、それによって大人に対する不信感が強いことが多いのです。

だからこそ、不信感を募らせる一方で真の信頼を求めていて、自分に対して確かな理解をもってくれる大人を求めてもいます。

問題行動を起こしたり、大人に挑発的な言動を見せる児童や生徒に対し、常に強くまっすぐな関心を寄せることは、もちろん容易なことではありません。

ですが、それでもこうした関りとあり方こそが、そうした子たちを救う一番確かな方法であることも間違いありません。

そのために共感的理解に挑み続けることが大切です。

私もスクールカウンセラー時代、学校で一番の問題児(とレッテルを貼られた子たち)が、絶対の信頼を寄せてくれたケースが何度かありました。

そのケースを振り返っても、そこには共感的理解の実践の積み重ねがあったことは、間違いありません。

わかったつもりの態度を取るのではなく、本当の意味でわかったという実感をもつ。

これが真の共感的理解であり、教育現場の様々な問題の解決の一助になり得るものだと断言できます。 

続いて「看護の現場」での共感的理解についても考えてみましょう。




共感的理解は看護の世界で必須

私のカウンセリングの私塾、臨床カウンセラー養成塾には、現役の看護師の方も学びに来られています。

病棟勤務の看護師の方、町の医院勤務の看護師の方、福祉施設常駐の看護師の方、在宅・訪問看護の看護師の方など。

そうした看護師の方々が非常に戸惑いながら対応している場面の一つが、ターミナル(終末期)ケアです。

例えば、末期のガン患者へのケア。

患者本人には病名は告知しているが、ステージ(が末期であること)は告知していないケース。

患者は自分が末期であることを知らされていないわけです。

こうしたケースで患者は様々な疑問や問いかけを医師や看護師に投げかけてきます。

治療前の説明とくらべ、なぜ自分の病状は良くならない(もしくは悪くなっていく)のか?

薬の投与の量やスパンが、当初の説明より多い、長いのはなぜか?

患者は医師や看護師の微妙な反応を観ながら、自分の病状に対して少しずつ疑念を持ち始めます。

そうした投げかけをされた時、看護師としてどう対応すれば良いのか?

あるいは、死を覚悟した患者がそうした思いを打ち明けてくれたとき、心ある対話、やり取りはどうすれば出来るのか?

こうした具体的場面での対応に苦慮し、悩み、試行錯誤を続けています。

「私の余命は、もしかしたら・・・」

こう質問されることに、戦々恐々とさえしています。

在宅であれば毎回、家族とのやり取りもあります。

短時間に家族からの訴えや相談があり、それらにどう適切に対応できるのか?

多忙な看護師の皆さんは、そうしたことをしっかりと学ぶ機会がなかなかありません。

患者はたとえどんな病状や状況であっても、看護師との対話の場面では、その一言一言に人生を重ねます。

患者のたった一言をどう聞き、どう受け止め、どう応えていけるのか?

看護師のたった一言は、その患者にどう伝わり、どう響き、どんな影響を与えていくのか?

そうしたことをしっかりと振り返り、次の対応に活かしていく一番良い方法は、カウンセリング学習で実施される逐語分析です。

患者との会話を許可をもらって録音し、一言一句記録し、それを突き合わせて検討する。

プロセスレコードなどから、患者ケアの全体像や要所での関り方、看護師のあり方を検討するのも有効です。

要は患者とのやり取りを傾聴&共感的理解の観点から厳密に分析することで、見えなかったことがたくさん見えてくるわけです。

患者の思い、言いたいこと、訴えたい事を思いのまま、言いたいまま、訴えたいままにしっかりと理解していく。

それは別の言葉でいえば、患者のその時その時の考え、思い、感情を一緒にわかち合っていくことです。

自分の不安、苦しみ、悲しみ、絶望、様々な葛藤をわかち合ってもらえたという経験は、患者にとって少なからぬ安らぎと力を得ることにもなるでしょう。

共感的理解とは、人と人とが今そこにあるものを丁寧に分ちあい、尊重しあっていくこと。

二度と来ないその瞬間を大切にできることは、その後の残された人生にあたたかい時を刻むことにもなるでしょう。




共感的理解は介護でも重要

養成塾には福祉関係にお勤めの方も学びに来られています。

介護をはじめとした福祉の現場では、人手不足によって一人一人の職員への負担が増しています。

やがてAIロボットなどによって、人手不足の問題は解消するのでしょうか?

福祉従事者がカウンセリングを学ぶ目的は、やはり利用者やその家族とのコミュニケーションをしっかりとしていくことによるケアやサービスの向上です。
 
障害があったり認知症があったりする利用者とのコミュニケーションには、独自に専門的な関り方が必要になります。

しかし、そうした手段を通して職員の方々がやろうとしていることは、利用者との意思の疎通です。

意思の疎通によって、利用者が何を求めているのか?

それを時には言語を通して、時には言語以外の要素の観察を通して理解しようとします。

そして、障害や病気があったとしても、利用者にも「こころ」があります。

思考や言語化が十分に出来ないとしても、その内面では様々な感情が動いています。

ここは障害や病気がない人間と同じです。

共感的理解に努めることで利用者の感情をわかち合えたとき、利用者の内面には喜びと安心で満たされていきます。

たとえ障害や病気を抱えていたとしても、誰かに自分のことを理解してほしいという気持ちは同じのはずです。

また、利用者のご家族とのコミュニケーションでも、やはり共感的理解に努めることは重要です。

利用者もそうですが、家族も常に看護や介護において不安や葛藤の中にいます。

その不安や葛藤をわかち合うことは、家族にとってその不安や葛藤の軽減につながり、明日を前向きに生きる力になります。

介護している家族は、その大変さから不安と苦痛に押しつぶされそうになります。

そのために視野が狭くなり、様々な問題を一人で(家族で)抱え込みがちです。

この「抱え込み」が問題を深刻にするので、デイサービスや施設の職員、ケアマネージャーが共感的理解に努めることで、問題解決につなげることができます。

私は一人ではない。

私たちは孤立しているわけではない。

そんな実感が持てるということは、介護の日々の中にある家族にどれほどの安らぎと勇気をもたらすことでしょう。

共感的理解はたった一言、一瞬のやり取りでもできます。

いえ、たった一言や一瞬のやり取りも疎かにしないことが大切です。

ということは、時間がないケアマネージャーや施設の職員でも、共感的理解は可能です。

その一言が、その一瞬が利用者に、そして家族にどれほどの喜びと安心をもたらすのか。

改めて考えてみたいところです。

そして、こうした共感的理解の技術を習得することで、職員やケアマネージャー自身も救われるのです。

利用者や家族と様々な思いをわかち合える喜びを知り、同時に感謝もされるからです。

福祉の現場は人手不足で、助成金などで回っているために、研修にまとめて時間を割くことが難しいでしょう。

それが、今後の課題の一つになっていくと思います。

さて、共感的理解がこうした様々な現場でどう効果を上げていくものなのか?

そんことについて以下に解説します。




共感的理解の想像を超える効果

共感的理解の効果は何か?これ、意外と説明できない人が多いと思います。

共感的理解は単に「辛いね」と歩調を合わせたかのような態度を見せることではありません。

共感的理解はしっかりとしたセラピー効果があるのです。

共感的理解をしっかりと実践していけば、かなりのことが出来るし、様々なケースでクライエントの精神機能の回復を起こせます。

傾聴も共感も、人によってはただの「つなぎ」程度に捉えている人もいるようですが、その認識は完全に間違っています。

ちゃんとしたセラピー効果もありますし、クライエントの精神機能の回復を可能にします。

では、なぜ共感的理解にはセラピー効果があるのでしょう?

これもきちんと説明できる人が少ないですね。

これが説明できる人はおそらく、共感的理解の実践効果をその人自身が経験したはずです。

共感的理解の実践による効果を何度も経験し、その効果を検証してきた人なら、その効果の中身を、経験値に基づいて言語化できるはずです。

共感的理解は相手と様々な経験・感情・感覚をわかち合うことだと書いてきました。

人は、自分の経験・感情・感覚をわかち合ってもらえたと実感できると、悩みや苦しみ、不安によって狭くなっていた視野が広がります。

「そうか、自分はこんなに不安に思っていたんだ」という具合にです。

このように視野が広がると自分の状況や自分自身の心理状態などが、より正確に理解できるようになります。

自分自身を俯瞰(ふかん)して捉え直すことができるからです。

そうなると感情的な状態から徐々に落ち着きを取り戻し、理性的な状態に変わります。

そうすると、自分が直面している問題や置かれた状況、その中での自分の捉え方に気づいていきます。

ここまでくれば、元々「何とかしたい」と思ってカウンセリングに来ている人ですから「そもそもなぜ、このような事になったのか?」と考え、「ではどうすれば良いのか?」と思考をつないでいけます。

共感的理解を「辛かったね」などと歩調を合わせたかのような態度のことだと思っていたり、ただの「つなぎ」程度にしか捉えていなかった人からすれば、この回復、立ち直りの原理は想像を超えるものかもしれません。


共感的理解の効果的、実践的方法 

共感的理解の効果的、実践的な方法は、クライエントの話を自分がどう理解したかを自分の言葉に置き換えて伝えていく(応答にする)ことです。

いろいろな学習機関では、クライエントの言葉を繰り返すことばかりが強調されますが、そんな応じ方をしていたら、その場の雲行きが怪しくなるだけです(笑)

私たちが話をするということは、伝えたいことがあるから話をするわけです。

それならば、その話を聞いている人間は、相手の伝えたいことは何かを相手が伝えたい、わかってもらいたい通りに理解することに努めます。

傾聴(話しを正確に聞くこと)は、そのために必要だからやっていることです。

そして話を聞いた人間は、その話を自分がどう聞き、どう理解したかについて、それ相応の反応(リアクション・レスポンス)を示します。

その反応を言葉にして相手に投げ返すことを、カウンセリングでは応答といっています。

この応答は、カウンセラーの場合、クライエントの話を自分がどう受け取り、どう理解したかを言葉で相手に確認する意味合いがあります。

「私はあなたのそこまでの話を、こう理解しましたよ」

「あなたの話をこう受け止めましたが、それで合っていますか?」

カウンセラーの応答にはこうした意味があります。

だから、ここは単に言葉を繰り返すよりも、カウンセラー自身の理解をもとに、自分がどう理解したかを自分の言葉で伝える方が、より明確に伝わるわけです。

そして、カウンセラーの理解をカウンセラーの言葉によって投げ返されたとき、クライエントはそれが自分の伝えたかったことそのものだと感じれば、その通りだという反応をします。

このクライエントの反応が確認できたとき、そこで初めて共感的理解が成立したといえるんです。

では、具体的な事例を通して最後に考えてみましょう。




共感的理解の例文 

では、共感できているとは、どういう「状態」を指すのでしょう。

私がカウンセラーとして駆け出しの頃。

共感できている状態がどんな状態なのか?

よくわかりませんでした。

ただ、一つだけわかっていたことがありました。

それは、共感できているというのは、「状態」であるということ。

共感できているという状態なんだということ。

そのことだけは、わかりました。

結局この「状態」を自分で体現できるまでには、5~6年の年月を必要としました。

いえ、厳密にいうと、駆け出しの頃、既に体験はしていました。

体験はしていたのですが、それはほんの一瞬のこと。

再現性がなかったのです。

あなたも実は、既に体験しているのです。

例えば人の話を聞いていて「そうか!そういうことか!」と、膝を打つような感覚になった経験があると思います。

そういう時は、いちいち頭で考えなくても、自然と言葉が出てきましたよね。

そういう風に出てきた言葉に、相手はこういう反応を起こすはずです。

ですから、一瞬であれば、誰もが体験しています。

カウンセリングでは、これを維持しすることが求められます。

そこに再現性が必要で、体現できることが必要なんですね。

共感出来ているという状態。

私の場合、5~6年する頃から自分なりに再現(体現)が出来るようになりました。

感覚的には、言葉が自然と浮かんでくるという感覚。

適切な応答が勝手に自分の中から浮かんできます。

この感覚で発した言葉は、クライエントにスンナリ受け容れられます。

なぜ、クライエントにスンナリ受け容れられるのか?

それは、その言葉(応答)がクライエントの感覚にピッタリくるからです。

クライエントが一番伝えたかったこと、わかってもらいたかったこと。

まさにそのものズバリが言葉になっていたからです。

では、どうすればこのような言葉が出せるのでしょうか?

カギを握るのは「実感」です。

クライエントと同じ「実感」をわかち合うこと、わかち合えることです。

クライエントが伝えたい経験、感情、感覚、思い。

それらをカウンセラーが同じように、深くわかち合う。

すると、そこにはカウンセラーの実感も出てきます。

この実感が生まれれば、それを言葉にするのは難しくありません。

クライエントの悲しみ、怒り、虚しさ、不安、怖れ、絶望。

これらをリアルに、そして深くわかち合えるかがカギです。

そして、こうした感覚を頭ではなく、心で感じる。

心の実感を伴い、わかち合えている。

この瞬間に「共感的理解」が成立するのです。

もちろん、これは否定的感情や感覚だけではありません。

クライエントの喜び、充実感、希望、感動、感謝。

こうした肯定的な感覚も同様にわかち合います。

つまり、クライエントの人間性、経験、感情、感覚。

クライエントが伝えようとしているもの。

それらをまるごとわかち合おうとするわけです。

本当にわかち合えていれば、そこには必ず「実感」が生まれます。

この実感がないままに共感できたことにしようとする。

だから「おうむ返し」のような言葉しか出せないのです。

そして、実は次のことも大事なんです。

本当に実感があるなら、「同じ言葉じゃなくてもいい」わけです。

例えば、悲しみの表現はいくつもあります。

寂しさを表す表現も、比喩的だったり、擬人的だったり、ことわざだったり・・・・

それこそ、複数あるはずなんです。

実感があれば、これらを自分の言葉に変えることができます。


「あの言葉に、自分はとても動かされました」


こうしたクライエントの表明があったとします。

それにカウンセラーがどう応答するか?


「(その言葉が)刺激になったわけですね」

「(その言葉に)奮い立たされたんですね」

「その言葉が、胸に響いたわけですね」


という具合に、いろいろ表現が可能なはずです。

話の流れ、一番伝えたい感覚などを踏まえて、カウンセラーが言葉を選ぶわけです。

その「選ぶ」にしても、どれにしようかな・・ではないのです。

瞬間的に「これ」と浮かんでくるのです。

なぜなら、何度も言いますが、そこには自分の「実感」があるからです。

カウンセラーの実感があるから、自然に言葉になるのです。

しかも、その実感はクライエントの実感と出来るだけ近いものです。

つまり、「互いにわかち合えている実感」ということです。



そして、大切なところは、カウンセラーの実感を通して、クライエントが改めて自分の実感を味わい直すところにあります。

この「味わい直し」によって、クライエントは自分の感覚を、よりリアルに、より鮮明に、そしてより正確に再認識します。

自分が無意識だったり、不明瞭だった経験、感情、感覚などを改めてしっかりと意識化できる瞬間です。

カウンセリングによって、クライエントは自分の感覚を改めて、あるいはより鮮明に「自覚」します。

その繰り返しの体験によって、自分の無意識を意識化し、自分自身や問題の本質に気がついていきます。

これがカウンセリングの大事な本質の一つなのですね。

この実感の感覚がコンスタントに持てるようになると、カウンセリングの進展は飛躍的に進み、その面接はかつて経験のないほど深まります。

クライエントの自己洞察や問題への洞察も、面白いように進み、深まっていくわけです。

共感とは、こうした感覚や実感をもつこと。

共感できるとは、そうした「状態」になることです。


共感的理解は「ゾーン」「フロー」の状態から生まれる

共感的理解は「わかった」「そうか」「なるほど」という無意識に近い反応です。

直感的な反応といってもいいと思います。

この直感的な反応は比較的静かですが確かな感じのする「わかった」「そうか」「なるほど」という反応です。

こうした直感的反応が起きるには、カウンセラーのある状態を必要とします。

それは安定してバランスを保ち、なおかつ研ぎ澄まされた感覚が働いている状態。

すなわちそれは別な言い方でいえば「ゾーン」に入った状態であり「フロー」の状態。

つまり極めて深い集中状態にあることが条件となります。

ですから共感的理解を実践する上で重要なことは、こうした状態を作り出し、クライエントの発信する様々な情報に対する的を射た理解を、直感的反応として起こすということになります。

これは実際にこうした共感的理解を実践し、体感や実感の経験がある人間でなければ説明できない感覚なのです。


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