<察する、察してあげるということ、そして感受性・人間性ということ >
ここは察して欲しい、ここは触れないでおいて欲しい・・・・
そういうことがわからなくなる場合があります。
例えば、子供が学校に行きたくないと言い出した時。
親は心配のあまり、何とか我が子の力になってあげたいと思います。
ここまでは、全ての親御さんに共通の思いでしょう。
そしてそのためには、その原因や障害となっていると思われることを取り除いてあげれば、子供は学校に行くのだと思います。
そこで、何をするのかというと、学校に行けなくなった原因を必死に探そうとします。
そして、そのためには、子供になぜ学校に行きたくないのかを聞き出そうとします。
「どうして学校に行きたくないの?」
「何かあったの?」
「お母さん(お父さん)に話してごらんよ」
ところが、この親心や心配・善意からの問いかけが、子供にとっては苦痛以外の何ものでもない詰問となってしまうことがあります。
親としては、心配のあまりの問いかけです。
ところが、もし子供が、学校に行けない理由がわからなかったとしたら。
あるいは、どうしても言えない、言いたくない理由であったとしたら、親心からの必死の問いかけは、まさに、苦痛しか生まない詰問へと姿を変えてしまいます。
ここはこちらの気持ちを察して聞かないで欲しい。
ここは、どうか触れないで、ソッとしておいて欲しい。
子供に限らず、人間関係の中では、よくある場面です。
一口に、苦痛や悩みといっても、その中身、その人の中での受け止め方、感じ方は、一つではないのです。
人間には、訴えられずにはいられない苦痛と、訴えたくない、訴えられないほどの苦痛、まさに、自分でも触れたくないほどの苦痛とがあります。本来、人間の苦痛や悩みというものには、このように一つではない、複雑な思いが絡み合っていることが少なくありません。
察するということは、これは感受性や人間性が働くかどうかということが一つ。
そしてもう一つには、これまで生きてきた中で培われてきた人間観・価値観・思想といったものが、大きく作用することは、言うまでもありません。
人間関係を豊かに、そして味わい深いものにしていくには、この感受性・人間性を磨くこと、そして人間観・思想・価値観の再点検が、改めて求められてくるといえるのではないでしょうか。
人間関係改善法-3
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