共感的理解と教育
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学校の先生が「あの子は手に負えない、この間もこんなことがありました」と嘆くときがあります。

そして自分がいかに手を尽くしたか、いかにその子が問題かという訴えをされるわけです。

そこでこちらがその最初の訴えに飛びつく格好で「その問題は私はこう見ます」とか「それはこう考えたらどうでしょう」というような動き方をしたとします。

おそらく先生は「なるほど」という素振りで聞いては下さるでしょうが、そのやり取りからなにか生きたものが生まれることはないでしょう。

ところが、こちらが更に聞く姿勢を崩さずにいます。

そして心の中で「先生なりにかなり苦労されているのだな」「それは大変だなあ」「そのような状況が起きるのは実に残念なことだな」という気持ちになりながら聞いていきます。

するとひとしきり「問題の彼」に対する否定的な、あるいは批判的な話が話されると、徐々に今度は肯定的な側面についての観方や話が出てきたりします。

「あの子も根は悪い子ではないんですけど」とか「こちらももう少しあの子のプラスの面を観てあげられたらとは思うんですけど」という挿入句的な形でです。

挿入句ですから基本的にはその文全体は否定的な話なわけですが、このように肯定的な観方や心情の吐露が混じってくるわけで、これはなかなか不思議なものだなあと思います。

保護者の方で学校側の対応に強い不満をもった方も私の相談室に来られます。

やはりそういう方も最初は学校への不満を訴えます。

しかしこれもこちらがその不満に飛びつかないで、「ああ、その気持ちもわかるなあ」「そういう状況ならつい否定的に(批判的に)感じてしまうのもわからなくはないなあ」という気持ちになって聞いています。

すると、これも不思議なもので、今度は冷静な客観的な見方や学校側の努力に対する理解を示すような話が混じってきます。

こう考えると、人間は否定的な自分の感情に落ち着いて向き合ったり、事の経緯を正確に振り返ることができるならば、自ずと肯定的な感情や観方、思考が生起してくるというロジャーズの指摘は、やはり当たっているなといえるでしょう。

否定的な感情があってこそ、あるいは否定的な感情を受け入れてこそ、人間は成長でき、更に次のステップを踏んでいける。

これは頭で理解しているだけでは到底ピンとこない話で、現実に自ら体験的に肌で実感していくからこそ「ああ・・なるほど」と得心がいくことではないかと思います。

一生懸命なあまりについ否定的になってしまう先生方。

わが子を思うあまりについ批判的になってしまう保護者の人たち。

そういう人たちが私に教えてくれることは、何よりも貴重なものなのだと改めて思うのです。




2009年5月25日


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