自己一致とは

自己一致という概念も、ずいぶんと誤解されているようです。

ひどいと、言いたいことを言えることとか、自分の内面をさらけ出すこととか・・・・

あるいは、それに近い言動を取ることだと思っているカウンセラーもいるようです。

でもそれでは、カウンセリングでこの「自己一致」がなぜ重要なのかということがわからなくなります。

「自己一致」とは、カウンセリングを行う上でカウンセラーの姿勢として絶対的に必要な条件(状態)であるというわけですからね。

カウンセリングではなぜ「自己一致」が必要なのか?

どうすれば「自己一致」した自分になり得るのか?

そのあたり、以下に解説を書きました。 


<目次>
自己一致とは
自己一致と純粋性
自己一致と共感的理解
自己一致の方法
自己一致と看護 
自己不一致を解消するには
無条件の尊重と自己一致は
自己一致の具体例 

 

自己一致とは  

カウンセリングを学ぶと必ずこの「自己一致」という言葉を耳にすると思います。

では、この「自己一致」とは何でしょうか。

平たくいうと「感じていること、考えていること、そしてその言動や態度が一致していること」ということになります。

自分が何か出来事に遭遇したり、何らかの経験をした時に感じたことがあるとします。

そして、その感じたことを受けて考えることや、感じたことに対して考えること、それから話すこと、取る行動。

それらが、一貫していること、互いに矛盾がないこと。

そうした状態を、 自己一致していると言います。

つまり、端的に言うとそこに「ウソ」がないことを言います。

例えば、クライエントの話を聞いてイライラしているとします。

内心イライラしているのだけれども、表に出す態度としては良き理解者であり、受容的な人間であるかのように振る舞う。

これは自己一致している状態とは言えないということは、おわかりになると思います。

つまり、そこに「嘘」や「矛盾」があるからです。

かといって、そのイライラをあからさまに表に出したり、何の配慮もなく態度にそのまま出すことが自己一致しているというわけではありません。

まず、クライエントの話を聞きながらイライラしている自分がいる。

そのことを自分自身がそのまま受け入れる。

自分がイライラしていることを認め「イライラしているな」という風にそのままに認識する。

今、 自分が相手の話を聞きながらイライラしているということを認める。

これが一番大切なことです。

そして、自分がイライラしているということを、表に出すか出さないか、 相手に伝えるか伝えないかは、その時々の状況判断に委ねます。

相手への配慮から、ここはあえて伝えずにおく。

あるいは、伝えるにしても、その伝え方を工夫することになります。

ですから、自分の率直な気持ちをそのまま表に出すこと、何の配慮もなく相手に伝えてしまうことが自己一致だということではないんです。

この辺を誤解して、カウンセラーの中には自分の感情や内面の葛藤を思いつくまま、浮かぶままに言葉にしたり、 態度に表す人もいるようです。

しかしそれは自己一致しているということではなく、単に衝動的に、思うがままに振る舞っているに過ぎません。

自己一致で重要なことは自分の中で起きていることを正確に認識することです。

それがたとえ否定的な感情や、否定的な受け止め方であっても、そんな葛藤が起きているということを先ずは認め、受け入れる。

そこで良いとか悪いとか、正しいとか間違っているとか、そうした評価や判断を入れない。

先ずは起きたことを起きたまま眺める。

あるいは無意識の心の動きをしっかりと意識化していく。

そうした内面的な作用にフォーカスできていることを自己一致といっても良いでしょう。

かつてフロイトは精神分析において、 無意識を意識化することの重要性を説きました。

またロジャーズも、無意識下の部分をできるだけ意識できている状態を「十分に機能している状態」とし、 いずれも理想的な精神状態であるとしました。

自己一致がカウンセリングにおいて重要視されるのは、自覚不能な無意識な領域が減り、出来る限り意識化できている領域が増えるほど、しっかりとしたカウンセリングができるとされたからです。


自己一致と純粋性 

自己一致について語るとき、純粋性という言葉が出てきます。

この純粋性というのは、簡単に言うとそこに嘘がない、率直であるということになります。

ただし「自己一致とは」の項目で述べたように、本音のまま振る舞うとか、なんでも率直に言ってしまうとか、そういう次元の話ではありません。

カウンセリングを受けに来る方は精神状態も非常にデリケートなことが多いです。

精神的に参っていたり、気持ちが不安定だったり、感情的になりやすかったりといった状態です。

ですから、カウンセラーが感じたことをそのまま言葉や態度にしていくことは、非常にリスクを伴います。

そうではなく、カウンセラーがその時々の自分の内面をそのまま認識していること。

カウンセラーが自分の心理状態に対して、ジャッジすることなく正確に認知し、受け入れ、安定したバランスの取れた状態でいること。

これをさして「純粋性」と言って良いかと思います。

つまり「そこにウソがないこと」なのです。

自分の内面を正確に認識し、 なおかつ抵抗なく受け入れ、自分の様々な状態と共存できている人は、他人と接するときもとても自然体です。

なぜなら、自分の様々な精神状態や自分自身に対する許容範囲が広いため、自分を偽ったり、虚勢をはったり、理論武装をしたりといった防衛的態度をとる必要がないからです。

こうした状態でカウンセラーがカウンセリングに臨むことができればクライエントの話や様子を、ブレなく曇りなく、正確にしっかりと認識することが可能となります。

当然、 コミュニケーションの精度が上がることになり、カウンセリングの成果も上がりやすくなります。

また、 カウンセラーのそうした状態、人間的にバランスの取れた、成熟した態度に触れることで、クライエントのほうも様々な刺激を受け、自分の精神状態の安定につなげることができると言えます。

そしてまた、嘘や矛盾のない一貫した姿勢や態度のカウンセラーに対し、クライエントは徐々に信頼を寄せるようになります。

そうやってクライエントとの間に結ばれる信頼関係は、 カウンセリングの成果をさらに高める要因ともなるでしょう。

そうした意味で、自己一致と純粋性ということがどれほどカウンセリングにとって大きな要素となるかが窺い知れると言えるでしょう。

カウンセラーが自分の内面を常に正確に把握していられる状態でカウンセリングに臨むことで、クライエントの精神状態も良くなり、起きた問題に対する整理も進み、クライエントとの信頼関係も深まっていくと言えるわけです。


自己一致と共感的理解 

自己一致と共感的理解の関係を考える時、こんなことが言えるんです。

それは、自己一致していればしているほど共感能力は高くるということです。

共感的理解ができていればいるほど自己一致している状態だとも言えます。

つまり、自己一致と共感的理解とはとても関連性のある概念であり、状態です。

共感的理解というのは、クライエントの伝えたいこと、訴えたいこと、わかってほしいことを、伝えたいままに、訴えたいままに、わかってほしいままに理解することです。

ですから、クライエントの話していることやその全体的な様子から、 的確な理解に努めることだともいえます。

共感的理解には、理解そのものに対する鋭敏さ、繊細さ、そして深さが必要になります。

つまり、共感的理解には理解の精度が重要になるということです。

この理解の精度に直結するのが、 実は自己一致している状態だと言えるのです。

自己一致していればいるほど、 共感的理解の精度はそれだけ上がると言えるのです。

どういうことか?

私たちは自分の内面を理解している程度にしか相手を理解できない側面があります。

自分の心理状態、思考、感情などをリアルタイムで自覚できている状態であればあるほど、相手の心理状態、思考、感情などもリアルタイムで理解しやすくなるのです。

従って自己一致している状態であればあるほど、共感的理解の精度も上がるというわけです。

共感的理解とはクライエントの感情、感覚、思考などの「経験の世界」を同じように分かち合うことを言います。

クライエントが描いているであろう経験の世界をカウンセラーも同じように描きながら分かち合う努力をするわけです。

クライエントが自己一致し、防衛のない状態でクライアントの話を聞き理解に努めることで、クライエントが描いているのと出来る限り近いものを描くことは可能になり、成立しやすくなると言えるのです。

クライエントと同じように映像化し、経験の世界を描くということをすると、カウンセラーの中にその映像化された世界を経験したことにより起こる感情や感覚が出てきます。

それは、単に言葉の意味は話の内容を二次元的に(平板に)受け取っている時には出てこない感情や感覚のはずです。

そうして三次元的な理解を通して生まれた感情や感覚を言語化する(応答とする)ことで、それがクライエントの感覚や感情に近かったり、ピッタリとくるものであったとき、まさにその時、カウンセラーとクライエントは同じ(もしくは限りなく近い)感情や感覚、経験の世界をわかち合っている瞬間です。

自己一致と共感的理解との間には、 切っても切れない関係性があるのです。

クライエントの話を理解する上でそれを邪魔するようなカウンセラーの葛藤や雑念、余計な感情の生起も、自己一致できていればそれだけ起こりにくくなるといえるのです。
 


自己一致の方法

ではどうすれば自己一致した状態になれるのかということが問題になります。

自己一致することが良いカウンセリングを行う条件だとするならば、ここが大切なところになります。

結論から言うと、自己一致した状態というものは、一朝一夕になれるものではありません。

自己一致とは、カウンセラーの状態を指して言うことなので、それ相応のトレーニングと経験値が必要になることなのです。

クライエントの話を聞き続けながら、その瞬間瞬間で感じていくことと考えることに対して、常に自分でモニターが出来ていることが必要になります。

自分の中に起こる反応や心理状態を、常に正確に自覚できる反射神経が必要です。

カウンセラーはクライエントの話を正確に反射する能力も必要で、これは試行錯誤を含めた経験値やトレーニングが欠かせないことなのです。

では、具体的にはどのようなトレーニングや経験値が必要なでしょうか?

まず、ロールプレイにしてもカウンセリングの面接にしても、その会話のやりとりを録音します。

そしてそのやりとりの逐語記録を起こし、主にカウンセラーの応答をチェックしていきます。

クライエントの語りと、それに対するカウンセラーの応答を丹念に検討していきます。

すると、特にカウンセラーの言動に、自己一致出来ているかどうかが見て取れます。

カウンセラーの言い方、選ぶ言葉や表現、応じるタイミング、声の調子など。

つまり、応答全体を丹念に検討することで、カウンセラーがその時々で自己一致出来ているか、いないかを確認出来るわけです。

ここでポイントになるのは、こうした録音記録に基づくリアルタイムでのカウンセラーの反応を押さえることです。

こうした記録がなく、面接後にカウンセラーの記憶のみを頼りにした記録では、面接の中での自己一致の状態を把握出来ません。

カウンセラーの自己申告だけで行う検討会では、実際の面接で起きたことがわからないのです。

カウンセラーが自覚できていない反応や応答に関しては、ほとんど振り返ることは出来ません。

また、カウンセラーに防衛が働いた場合、自己申告による記録には面接での動き方、実際に起きたことなどが、正確に反映されない可能性も出てきます。

まして、一言半句の詳細な検討の実施は難しくなります。

だからこそ、録音記録や文字記録を介した検討や振り返りが必須なのです。

ですから、こうした記録をベースにした厳密な検討を繰り返すことが、自己一致を確立する最も確実な方法であり、近道だともいえるわけです。

それらか、カウンセラーが自分自身をチェックし、向上させるためのトレーニングや研修としては、指導者による教育分析が必要になります。

指導者によるカウンセリングを受け、自分自身のバランス、クセなど、パーソナリティー全体のチェックと向上を目指します。

さらには「エンカウンターグループ」などのグループセッションに参加することで、自分のコミュニケーションのチェック、グループ経験による自己洞察も行うと良いでしょう。

自己一致しているかどうかは、自分一人ではなかなチェックが難しいものです。

このような指導者や他者との関りによる研鑽を続けていくことにより、レベルの高いカウンセリングを行うことができるようになります。
 

自己一致と看護 

看護の世界では、実はこの「自己一致」が、患者ケアには非常に重要になる場面が多いんです。

私の私塾「臨床カウンセラー養成塾」にも、現役の看護師の方が学びに来られています。

患者と接する様々な場面でのケア、特に心のケアについていろいろな角度から検討することもあります。

そうした検討の中で、患者の訴えや投げかけに対し、看護師がしっかりと応えられていないというケースが非常に多いと感じます。

患者が訴える内容は、それこそ様々です。

病状や症状についてや、今抱えている不安、焦り、葛藤など。

こうした訴えにまっすぐ耳を傾け、その苦痛や訴えたい気持ちをわかち合えているかというと、実際はなかなかかみ合っていない場面が少なくないようです。

例えば、痛みや不安を訴えたとして、その苦痛や不安を看護師が正確に受け止めているのかどうか。

カウンセリングの世界では、共感的理解という言葉があります。

共感的理解とは、相手の言いたいこと、わかってほしいこと、訴えたいことを、言いたいままに、わかってほしいままに、訴えたいままに理解することです。

別な言い方をすると、相手の感情、経験、感覚を出来る限りそのままわかち合うことです。

この共感的理解の実践には、患者の訴えに対して看護師がいかなる言葉や態度で応じられるかが重要です。

なぜなら、患者にしてみたら、自分が発した訴えに対する看護師の言動や態度を観て、自分の訴えを理解してもらえたかどうかが確認できるからです。

ですから、患者の訴えを聞いたとき、それにどんな言葉や表現で応じるか?

どのような態度をもって応えるか?

ここが極めて重要になってきます。

難しいケースでいえば、ターミナル期の患者のケースです。

病名は告知し、治療もその線上で同意をもらって進めていても、末期であるということは伏せているとします。

このケースでは、時間の経過と共に、患者の病状は悪化していったり、それに伴って症状や苦痛が強くなったり、体力が落ちていくことになります。

治ると信じていた患者は、自分のそのような変化に疑問を覚えます。

そして、様々な形でその疑問や不安を看護師に訴えてくることになるでしょう。

その時に、看護師は「私はもしかして・・」という患者の問いがいつ出てくるかということが気になり、患者のその時々の訴えにどうしてもまっすぐ応えられなくなります。

しかし、患者の「もしかして・・」という訴えや、それを匂わすような問いかけが、本当に患者が自分の(末期であるかどうかという)状態を知りたいというケースは、意外に少ないようです。

自分が末期であるということを知るということは、患者にとって余程の心の準備が必要な話です。

なぜなら、自分の余命が少ないという事実は、それを受け容れるには相当の覚悟が必要です。

つまり、自分には時間が無いということを受け容れなければならないことになるからです。

ですから、看護師にとって求められるのは、まず患者のそうした微妙な問いかけが不安からの問いかけなのか、腹をくくっての問いかけなのかの見極めです。

もし、覚悟が出来ていて、残された時間に自分のなすべきことをしておきたいという切なる思いからの問いかけであったら、たとえ過酷な告知になるとしても、事実を伝えるということが真の誠実さだといえます。

しかしながら、多くの場合、そこまでの覚悟を以てなされる問いというのは、そうそうあるものではありません。

多くは不安の訴えであるので、患者の訴えを聞いたとき、何がどう不安なのか?どの程度不安なのか?をしっかりと受け取り、わかち合っていく方が患者の心のケアになることが多いでしょう。

この時に看護師サイドも、自分の中にある不安、焦り、迷いを無造作に打ち消すのではなく「あるもの」として認め、受け容れることが大切です。

本当のことを伝えられない痛みや葛藤を、無かったことにしようとして患者に接すれば、その対応は実に無味乾燥な、無機質で事務的な、不誠実な対応になってしまうでしょう。

患者はこのような対応をされることを最も嫌いますし、ある意味、一番悲しい思いを経験することになるともいえます。

しかし、看護師自身も自分の不安、焦り、葛藤があることを認め、受け容れた上で、事実を言うべきではないという「判断」において、事実を伝えない。

これは果たして自己一致していないといえるでしょうか?

内面において、自分の心の状態を正確に認識し、そして認めることは、自己一致の重要な条件と書いてきました。

ですから、この状態は看護師の自己一致している状態だといってもいいでしょう。

このように、看護の心のケアを考えると、実に微妙でデリケートな場面が数多くあります。

そこで問われるのは、患者の訴えにしっかりと応えていくことであり、そのためには自己一致が常に中心的な課題の一つとなるといえるでしょう。

 


自己不一致を解消するには

自己一致できていない状態を、自己不一致とします。

ところで、自己不一致の状態が顕著なのは、実はクライエントです。

クライエントは程度の差こそあれ、自己不一致の状態にあることが多いです。

日常生活の中で、その心理状態は実際に感じていることと考えていること、そしてその言動に、本人も自覚できない不一致状態があるといえます。

こうした状態で人とコミュニケーションを行うと、上手くいかないことが出てくるため、人間関係の形成にも支障が出てきて、苦労することになります。

また、不一致の状態で仕事に臨むと、観察・分析・判断に際して、支障が出てくることが増えてきます。

行動も消極的になったり、逆に衝動的で行き過ぎたものになったりするので、失敗やミスが増えてきます。

カウンセリングの祖でもあるカール・R・ロジャーズは、自己一致した状態であることが、人間のパフォーマンスを最も発揮でき、幸福な人生を歩む上で大切だと説いています。

それをロジャーズは「十分に機能する人」と表現しており、マズローは「自己実現者」と表現しています。

つまり、自分の心の動きをリアルタイムで意識化、自覚できている状態ですね。

非常に鋭敏で、深さがあり、それでいて視野も広く、バランスも良い。

感情的にならずに、理性的でいられます。

カウンセリングで重要なことは、クライエントが自己不一致の状態から、こうした自己一致した状態へと変化・成長していくことです。

そして、クライエントのこうした成長が起きる条件は、カウンセラーが自己一致している状態でカウンセリングをすることです。

クライエントにしてみれば、自己一致した人間(カウンセラー)の存在を感じ、自己一致した状態の人間とコミュニケーションを取り続け、人間関係を経験すること。

これが、自己一致した状態への変化・成長に大きな要因になるといえます。

自己不一致状態にあるクライエントが、自己一致したカウンセラーと「対話」を通して接触することには、このような大きな意味があるのです。

自己一致した人間との深いコミュニケーション経験によって、クライエントは自己一致した人間の在り方、コミュニケーションの取り方に直接触れる機会を得ます。

「ああ、 安定したバランスの良い人の有り様とは、 こういう感じなんだな」
「しっかりとした意思の疎通とは、 こんな感覚で行われるんだな」

こうした気づきを得て、 自己一致した状態を実感していくプロセスがカウンセリング経験とも言えます。

自己一致した人間との継続的なコミュニケーション経験は、クライエントにとって自己成長プロセスの一つとなりえます。

だからこそ、カウンセラーが自己一致している状態でクライエントと接触することがとても重要になってくるのです。

傾聴や共感的技法も、カウンセラーが自己一致した状態で行うからこそ、クライエントの精神機能の回復に大きな効果をもたらすのです。

やり方も大事なのですが、 あり方こそ根本であるといわれる所以です。

ただ、カウンセラーといえども、 完璧な自己一致した状態であるというわけではありません。

より自己一致した状態であるということであり、どれだけ自己一致しているか、 どれだけ自己不一致の状態であるかといった問題になります。

つまり、片方が自己一致した状態であり、もう片方が自己不一致の状態である一つの線上のどこに自分がいるのかということになります。




無条件の尊重と自己一致とは

カウンセリングにおけるカウンセラーの基本姿勢、カウンセリングに臨む時の条件として、無条件の尊重(肯定的配慮)というものがあります。

カウンセラーはクライエントに対して、積極的な関心を向け、否定的ではなく肯定的な配慮をもって 話を聞き続け、対応していくというものです。

この「肯定的な」というところが、実は難しいところです。

クライエントの否定的な話の内容や、それを語る時の否定的な感情状態にふれるとき、 カウンセラーがそれらを肯定的に聞き続けられるかどうか。

誰かに対する不満の表明であったり、自分の否定的な感情状態の吐露であったり、 そうした話をずっと肯定的に聞き続けられるかどうかは、 カウンセリングの成否を左右する重要な問題です。

そこは様々なトレーニングを続けたり、 様々な実践経験による経験値によってクリアしていくところではあります。

しかし、カウンセラーといえども、そこは人間。

時には、どうしても肯定的になれない場面も出てくるでしょう。

クライエントの話を聞くうちに、 否定的な捉え方が出てきて、それによって否定的な感情が起きてくることもあります。

その時、自分の否定的な側面と 自己一致というものを、私たちはどう考えたらよいのでしょうか?

自己一致とは感じていること、 考えていること、 そしてその時の言動や態度が一致していることだと説明しました。

では自分の否定的な側面をカウンセラーはクライエントに対して表明すべきなのでしょうか?

先にも書いた通り、表明すべきか否かについては、 ひとつの判断が必要になります。

場合によっては「今は表明すべきではない」という判断が必要なときもあります。

また、表明するにしても、そこは伝え方やタイミングを配慮する必要がある場合も出てくるでしょう。

大切なことは、 自分の中に否定的な捉え方や感情があるということを、 しっかりと自覚し、そのまま認めることです。

実際に出てきた否定的な捉え方や感情を無かったことにして無かったように振る舞うのと、あると認めた上で クライエントへの配慮やその時の状況判断によって証明しないのとでは、 似ているようでその本質は全く違います。

たとえ表明しなかったとしても、自分の中に否定的な要素が現れたということをしっかりと認めることができれば、 それがその後のカウンセリングを進める上での検討材料にできるのです。

こうして考えてみても、自己一致と無条件の尊重とは、 時には矛盾する部分が出てくることもあります。

しかし、無条件の尊重( 肯定的配慮)は常にカウンセラーが自分に課すスタンスではありますが、否定的な側面が出た時に、それを自己一致の観点から捉えることの方が、ある意味、 本質的なことかもしれません。


自己一致の具体例 

私は過去に5年間、小学校のスクールカウンセラーを務めていたことがありました。

ある時、学校の相談室で、資料をぶちまけた4年生の男の子がいました。

学校で知らない先生はいないというくらい問題を重ねて起こす子でした。

その子が私の相談室の机の上に乗って、部屋の資料を笑いながらぶちまけたのです。

こういう時、あなただったらどういう態度を取りますか?

こういう時にどうすればいいのか?

そんなことが書いてある心理学書なんて無いんです。

では、どうするのか?

その場で答えを見つけようとするしかありません。

なぜなら、答えは心理学の本ではなく、その子の中にあるからです。

私もその時、何が正解かなんて、わかりませんでした。

そして当然のことながら、私は困りました。

相談室の資料を机の上に乗り、笑いながら紙吹雪を散らすようにぶちまけているわけです。

やはり、 その場面では否定的な捉え方や感情が起こっていました。

しかし、じっとその子を見ていると、あることに気がつきました。

この子は、こっちを見ながらやっている。

私を気にしながらやっている。

私がどういう反応を見せるか、試しているんです。

そして、その子の瞳の奥に、何かを感じました。

・・・・・必死さ・・・・

そう、この子は必死にやっている。

いや、真剣にやっている。

生きていくために、必死にやっているんだ。

そういうことが見えてきたんです。

その時、そうか、そうだったのか・・という気持ちになりました。

この子は生きるために、必死に資料をぶちまけて見せているんだ・・・と。

そうすると、不思議なことが起こりました。

私の方から、そういうこと、一切口にしていないのに、その子の態度が変わったんです。

資料をぶちまけることをやめ、私との対話に徐々に応じるようになった。

そのうち、一緒にゲームをしたり、他愛のない話で笑いあったり・・・・

たまに、家族の話しや教室の話になったり・・・

そうやって、目に見えない信頼関係が少しずつ築かれていったのだと思います。

その時、私は確かにこの子に対して、全面的に肯定的な自分であったと思います。

つまり、一瞬否定的な状態にあった自分が、肯定的な自分へと変わる瞬間があったのです。

その時自分がやっていたことを後から振り返ると、その子の事をまっすぐ見ようとしていたこと。

純粋な関心をその子に向けていたからこそ見えてきたものがありました。

また同時に、私は私自身の内面にもまっすぐに関心を向けていました。

まっすぐな関心を向けていたからこそ、 自分の中に否定的なものが起きたことを認めることができ、そこから自分の内面とその子に対して、よりしっかりとした観察ができたといえるでしょう。

その子に対して否定的な言動や態度を表明する以前に、まず改めて クライエントでもあるその子に純粋な関心を寄せることを重視した結果、自己一致と肯定的配慮の両方を最後は維持することができたのです。
 
 


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