『共感的理解』とは



『共感的理解とは、相手の言いたがっていること、わかってほしがっていること、訴えたがっていることを、言いたがっているまま、わかって欲しがっているまま、訴えたがっているままに理解することである』


これは私の師である吉田哲先生の教えです。

共感的理解という言葉は知っていても、その本質を理解し、実践できている人はいるのでしょうか?

その点を以下に解説させて頂きます。

<目次>
共感的理解と基本的態度
なぜ共感的理解が必要なのか? 
傾聴の学習も誤解されている


共感的理解と基本的態度 

カウンセリングをしていると、過去に精神科や心療内科、
さらにはいくつかのカウンセリングルームに行ったり
通ったりしたという方がいらっしゃいます。

いろいろないきさつや事情もあったのでしょうけれど、
そんな方のお話しをお聴きして思うのは、
その方が最終的には医師やカウンセラーから
共感的理解が得られなかったのではないかということです。


先の師の言葉によれば、共感的理解とは、
相手の言いたがっていることをいいたがっているままに聞く、
そして理解し、その理解したことを相手に伝えること、
伝わることだということになります。


ところが、彼らの話によると、最終的には
医師やカウンセラーからもらった言葉は、

「そんな考えではダメですよ。
もっとこうしなければ」という説明であったり、
「それでは困りますよ。もっとこうしてもらわなければ」

という説得であったり。

また、

「だから行き詰るのですよ。もっとこうしてみたらいかがですか」

という指示・助言であったり、

「結局それはあなたが考えすぎたり甘いからですよ。
気の持ちようなんだからもっと頑張ってください」

という励まし・激励であったりしているようです。


これは何かというと、対人援助やカウンセリングの最も基本とされる
共感的理解ではなく、説明・説得・助言・指示激励ということになり、
援助を求める人間には、それは一言でいうと
「自分を否定されるメッセージ」として伝わってしまう対応です。


そしてこうした対応というのは元々臨床の現場では
最も戒められるべき対応であるはずです。


ところが、臨床の現場で医師やカウンセラーは、
この最も戒めねばならない説明や説得、助言・指示、激励という対応を、
ある意味、最も重要な場面において行ってしまっているようです。


そしてもしかしたらそういう現実が、臨床の現場では
かなりの数で存在しているのではないかという気がしてくるのです。


もしそうであるとしたら、多くの患者やクライエントが納得が出来ず、
病院やカウンセリングルームを移すのも已むを得ないと思えますし、
非常に残念な現実でもあると思わずにはいられません。


『共感的理解とは、相手の言いたがっていること、
わかってほしがっていること、訴えたがっていることを、
言いたがっているまま、わかって欲しがっているまま、
訴えたがっているままに理解することである』


私はカウンセラーとして、この師の教えを現場でとにかく忠実に、
しかも丁寧に行うことを心がけています。


なぜならば、こうした共感的理解を最も重視した姿勢でなければ、
対人援助そのものが成り立たないと思うからです。


なぜ共感的理解が必要なのか? 

共感的理解はカウンセリングを勉強すれば、必ず学ぶ概念です。

しかし、この共感的理解がなぜ必要なのか?

共感的理解によって、何が可能となるのか?

そのことを、しっかりと説明できる人は少ないようです。

共感されることで癒される?

それでは、わかったような、わからないような説明です。

また、「共感」と「同感」と「同情」の明確な区別も、しっかりと出来ていない人もいます。

この区別は、オープンセミナーやワークショップで説明していますので、共感的理解がなぜ必要で、何が可能となるのかについてお伝えします。

共感的理解とは、そもそも何でしょう?

この概念を打ち立てたのは、他でもないカール・R・ロジャーズです。

ロジャーズは、この共感的理解が人間援助の根本だと説きました。

しかし、そう説いたロジャーズも、最初は助言のオンパレードの面接だったそうです。

そうした面接に何度も限界を感じ、行きついたところが共感。

その共感的理解とは、一体何をすることなのでしょう?

私は、クライエントの経験、感情、思いなどを、カウンセラーと共にわかち合うことだと思っています。

クライエントが経験したこと、悔しさ、悲しみ、怒り、絶望感。

そうしたもの、その一つ一つを丁寧にわかち合っていくことです。

そしてできることなら、それらをしっかりと、そして深くわかち合うこと。

そうすることで、クライエントは自分自身としっかり向き合うことができます。

自分の経験したこと、感情、思いを、カウンセラーと共にわかち合う。

具体的にはカウンセラーの聞き方、態度、応答によって、クライエントは自分の伝えたことを味わい直します。

そうすることで、クライエントは自分の経験した諸々を、改めて落ち着いて見直すことが出来るのです。

カウンセラーの聞く姿勢、態度、応答にふれることで、クライエントは自らの姿を正確に、ある意味客観的に見直します。

そういった意味では、カウンセラーはクライエントの映し鏡となるわけです。

クライエントはその映し鏡に映し出される自分を見て、自分自身や自分の経験の世界を正確に(客観的に)振り返ります。

自分はこんなに傷ついていたのか。

自分には、こんな思いが秘められていたのか。

これが自分の本当の気持ちだったのか。

そうして見えてくることが、クライエントにとって「気づき」となり、「学び」となっていくわけです。

つまり、共感的理解とは、「気づき」と「学び」を促すものなのです。

さらに、同じ経験、同じ感情、同じ思いをカウンセラーとわかち合うことで、クライエントは自分の感覚の「確かさ」や「危うさ」にも気づきます。

この感覚は確かだと確認できることで、こんな思いを抱く自分はおかしくないと思えます。

この感覚は危ういと確認できることで、よりしかりとした捉え方を模索します。

共感的理解には、そうした意味と目的があるわけです。

人の心は、助言や質問攻めや分析・解釈では動きません。

ロジャーズは、そうした知的な働きかけは生きないと説いていました。

人の痛みを分かち合う、人の喜びを分かち合う。

それはある意味、人の気持ちを我がことのように感じることです。

カウンセリングという手段を通して、私たちは、人の心に寄り添うとはどういうことか、改めて考えていきたいものです。


傾聴の学習も誤解されている

傾聴の勉強をしているのに、なぜ傾聴ができないのか?

それは、一番大切なことを見落としているからです。

傾聴やカウンセリングは、知識を入れるだけではどうにもなりません。

重要なのは、何を知っているかではなく、何ができるか。

つまり、自分が何をしてしまっているのかという「具体的事実」から出発しないと始まりません。

傾聴学習に行き詰った人たちが、次のようなことで困っています。

・実際の面接の途中で返す言葉がなくなり、沈黙になった
・「オウム返し」の連続でクライエントに嫌がられた
・学んだ通りにやっても”機械的”で”不自然”な対応になる

傾聴が必要な場面で求められるのは、相手の投げかけに何ができるかです。

相手の話をどう聞き、どう理解し、その上でどんな言葉を投げ返せばいいのか?

学習者が知りたいことは、このことのはず。

そして、その瞬間に適切な反応ができるだけの「反射神経」を磨くこと。

これが傾聴学習で最も大切なことのはずです。

臨床カウンセラー養成塾では、そうした学習によって、着実に塾生の反射神経が磨かれています。

では、どうやってその「反射神経」を磨けばいいのか?

「反射神経」を磨くためには、まず、傾聴に対しての誤解を解く必要があります。

・相手の言葉を繰り返せばいい(拾えばいい)?
・相手の話を要約すればいい?
・相槌を打って、相手の話を否定しなければいい?
・ただ黙って聞くこと?

まことしやかに教えられているこうした「間違った教え」ですね。

それに気づくことです。

いろいろあるのですが、今回、そのことを一冊のレポート(56ページのPDF無料レポート)にまとめました。

こういう話は、おそらく他では知り得ないと思います。

本当の意味で、現場で使える傾聴を身につけたい、そのために必要なことを知っておきたいという方。

下記よりそのレポート(サポートメルマガつき)が入手できますので、読んでみてください。

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